インサイドアウト・コーチング〜自分と仲良く〜

インサイドアウト・コーチング、企業研修、コミュニケーション能力について、そしてユーモアのある日常。
「自分と仲良くすること」
なぜ人材育成が立ち行かなくなるのか?:学習における3つのカテゴリー
先日、発達心理学を研究される大学教授の方とオヤコラボメンバーとでディスカッションする機会がありました。

オヤコラボでは、前々からコーチング、アサーション、ネゴシエーション、カウンセリング、ダイアローグ等を基にしたコミュニケーション学習(成長)を活動の軸としてきました。そしてオヤコラボ代表のご家族が懇意にしている教授が、発達心理学の研究に取り組んでいらして、オヤコラボのコンセプトと発達心理学のコンセプトが同じなのではないか、ということになり一緒に活動しましょうというテーマで、その場は設けられました。

その中で「学習」という概念について興味深いお話をうかがいましたのでまとめておきます。

1:学習には3つのカテゴリーがある


・認知的学習

自己の行動など経験を積み重ねる上で、PDCAサイクルを瞬時に行う学習。
例えば、卵をつかむとき、卵を割る時の力の入れ方など、失敗や成功を重ねて理解し記憶する学習

・対話的学習

自己内対話、すなわち自分の思考の中で対話することで様々な記憶やイメージを関連付けて新しい意味を見つけ出す学習。
これは社会との対話、いわゆる他人(更に進むと自分以外の事象)との対話によって呼び起こされる。呼び起こされると本を読む、空を見上げる振る舞いなどからも自己内対話が起こり、新しい意味を探索する。

・条件的学習

概念や理論や技法などを、繰り返し反復して記憶させる学習。
例えば「A=Bである」といった認識を記憶する能力で、一般的な日本の学校教育などは条件的学習と言える。

2:今、求められている学習能力は「対話的学習」


対話的学習というのは人間が最もクリエイティブ性を発揮する学習方法であると教授は考えており、現代社会において、重要視されていない、もっと言えば意識すらされていないのではないか、という考えです。

条件的学習は積み重ねをして行くことで知識、論理思考、技術は習得出来ます。その一方でクリエイティブ性は薄くなってしまうそうです。その理由は「記憶することが優先されてしまう」からだそうです。

対話的学習であれば、記憶せずとも、その時に受け取った印象やイメージを元に自分なりの意味を見出し、次の行動へ結びつけることが可能となりますが、条件的学習では、いわゆる情報でしかないので、どう使うか?まで発展することには結びつかないそうです。
(誤解があるとまずいので、認知的学習と対話的学習と条件的学習は同時に起こり、そのバランスのことを教授は言っています)

学校の授業では、先生の講義を一生懸命にノートに書き写す場合があります。これは条件的学習の振る舞いで、記録したノートを後から見ても、書かれた言葉だけが情報となり、言葉以外に関連した情報や概念とはリンクしないという事が起こるそうです。先生の講義を自己内対話とともに聞くと様々な概念や情報が密接にリンクしていき自分の思考の中で体系化されるそうです。ノートに書く書かないは枝葉のことなのですが。

このように学習の違いによって、人間が生み出すものは格段に違ってくるという説であり、例えば日本企業における学習の捉え方が条件的学習が多いので、課題を克服する力が弱まっている可能性があるということです。

3:「対話的学習」に必要な要素


ではどのようにすれば対話的学習が促進されるか。

シンプルに申し上げると対話する他はないということです。

ただ対話と言うのはある面難しさを持っていて、対等性、聴く、伝えるという基本姿勢が大切です。決めつけを抱いたまま話を聴く、話を十分に聴いていない、一方的な考えを伝える、などといった振る舞いが対話を阻害してしまいます。

また他人との対話が目的ではなく、自己内対話が目的なので、他人との対話を終えてから自分の内面で起こる対話をする十分な時間も必要であり、可能ならば自己内対話で浮かび上がったイメージや情報を書き留めておくことが重要です。それが次の行動への指針となる可能性は大きいと言うことです。

特に幼少期では、親との対話が重要で、親が対等性をもって子供と接することも将来の対話的学習の基礎となります。

4:対等性における研究調査結果


教授がアメリカの大学と共同研究した結果では、0〜3歳までの子供を躾するにあたり、アメリカの親の特徴は「自己表現によるパワーバランス」、日本の親の特徴は「親子関係という上下による徹底」ということがわかったそうです。

どういう事か簡単に言うと、アメリカの親は悪いことは悪いと言うが、その根拠として親が一人の人間として思ったことを子供に自己表現し「あなたに反論出来る力が無いのであれば今は言われた通りにしなさい」という概念。
一方、日本の親は「私が親なのだから言われたとおりにすることがあなたの役目」という概念。

一見、大きな違いは無いように見えますが、子どもが成長してきたときに大きな違いを生みます。
アメリカの親は、子供が成長して自分の意見を言えるようになると、親はそれを受け止めます。もちろん親からも自分の意見を言います。その意見の違いを明らかにしてから、一緒に解決策を探すと言う振る舞いになります。

日本の親は、子供の成長に関わらず、役目として親の言うことをきく事を前提で子供に接するので、子供が意見を持たない依存を生む可能性を持っているそうです。

この躾に関する捉え方の違いは、文化的な土壌にも影響を与えていて、アメリカの企業風土と日本の企業風土とも絡んでいる可能性は高いということです。

幼少期からの親の躾が企業風土に色濃く出る、というのは聞いて驚きと納得感がありました。

このように幼少期はパワーバランスになるものの、成長してからはお互いを尊重するアメリカの概念には対等性と言うものがしっかり存在しているということになるでしょう。日本では対等性の概念が若干弱い。アメリカの大学教授もこの結果には驚いていたそうです。
(ただこれは研究調査結果の話であって、正しい、間違いの判断はできません)

5:治療的概念は条件的学習と同じパラダイム


最近売れているビジネス書などでは「XXすると良くなる」といった風に技法やノウハウを付け足すことによって問題解決できるという内容のものが増えています。
これは何も変わらないという可能性が有るそうです。その理由は治療的概念であるということです。

治療的概念は、足りないものを付け足すことで満足させようとする概念で、実は条件的学習の一部であるということです。

条件的学習では壁を崩せない場合に、更に条件的学習を付加しようとする行為。アインシュタインの言葉「我々の直面する重要な問題は、その問題を作ったときと同じ思考のレベルで解決することはできない。」が思い浮かびます。

つまりパラダイムシフトが必要であり、それは学習のパラダイムが条件的学習から対話的学習へとシフトすることで起こると言う認識です。逆に言えば治療的概念は同じパラダイムに留まるという事。

あくまでもロジカルにロジカルに・・。GAP分析、マトリクス分析、フレームワーク思考などの思考方法がありますが、同じパラダイムの中で少し視点を変えるだけと私は感じます。全く意味は無いということでなく、条件的学習として有効活用するのが本来の使い方だと思います。

6:人材育成と対話的学習

企業での人材育成においてお悩みを持つ担当者、経営者の方は多いと思います。
例えば研修・教育を行っても、その時は満足度が高くても、日が経つに連れその効果は減少し、いつの間にか「そんな研修あったよね」という記憶だけが残るケースがあると耳にします。

私は条件的学習としての研修・教育という枠から抜け出すことが出来ていない可能性を感じます。
コーチングなどのコミュニケーション研修も増えていますが、なかなか効果が出ないと人事の方や経営者の方から相談を受けたことがあります。それは本来、条件的学習ではないにも関わらず、研修デザインが条件的学習のパラダイムに収まっているからではないかと推測しています。治療的なアプローチ。

研修・教育という部分最適を行っても、すぐに組織全体の効果に結びつかない。こんな発想も治療的な考え方ではないでしょうか。

今、必要なのはその枠組みから抜け出す、対話的学習が必要だと感じています。学習と言っても肩肘張らず、対話出来る関係性、場づくりが今後は重要になってくるでしょう。



このような話を伺い、自分で感じたことを交えながら書かせて頂きました。今、私は楽しみながら対話をベースにした新たなアプローチを企画しています。






ワールドカフェやります
2月17日:子育てについて語り合うワールドカフェ =託児つき=(京都)


2月24日:働く女性のための「ワールドカフェ」(東京)


3月9日:「人を育てる」について語るワールドカフェ(東京)

3月25日:ワー育!ワールドカフェ(東京)
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中学受験で力を発揮するとは?:アドバイスよりも関係性
東京・横浜あたりでは昨日から中学受験のシーズンですね。

妻が塾講師をしていることもあって、いつもこの時期は何かと忙しそうです。(精神的にも)

個人的には、来年親戚のお子さんが受験するので、何かと考えることがありました。
妻はもちろん、受験をサポートしているのですが、塾講師として、親戚として、出来ることを最大限にする、という考えで取り組んでいます。
受験に関していろんなエピソードを家族から聞いたので、そこからイメージしたことをまとめてみたいと思います。

1)臨場感の醸成

毎年、受験校では試験当日の朝はすごいことになっています。校門前で大手の塾講師がずらっと並び、のぼりを立てて、これでもか!と言わんばかりに「おはようございます」「頑張って!」という声を掛けています。

マークが入った塾専用のリュックを担いでいる生徒には、握手して声掛けし、そうでない生徒に威圧するようにプレッシャーを与える戦略を取っている、と弱小塾講師の妻はいつもプンプン怒っています(笑)

本当にプレッシャーを与える意図があるかどうかは不明ですが、受験しにきた生徒には、かなり影響はあるでしょう。このような非日常の状況を目の前にすると浮き足立ったり、萎縮してしまう可能性もありますね。

ちなみに妻は、小さい塾と言う利点を活かし生徒とはお互いに知っているのはもちろん親御さんとのコミュニケーションや、日頃の学習成果を元に応援する言葉をそのお子さんに合わせて応援しており、大手に見られる顔も知らない講師が「頑張れ」と言うだけとは違う、と自負しています(笑)

話を戻すと、これを克服する場合、臨場感を身体に覚えさせておくと言うことも有効だと考えています。

つまり、本人が受験する前の年に、志望する学校の受験日に現場の雰囲気を体験すると言うことです。小学生なので、こういった雰囲気は初めての事になるでしょうから、前の年に経験しておけば、経験済と言うことで身体も心もリラックスできるという考え方です。(お薦めしているわけでなく、そういう視点もあるという事)

大手塾の応援もあるのですが、一番大事なのは、試験を受けに来る生徒たちと親御さんの雰囲気を身体で憶えておくと言うことです。

表情、歩き方、気温、もちろん家から志望校までの道のり、すべての状況を体験しておくことで、一度体験した、という安心感が、醸成されるはずです。

できればこの時に、お子さんの感じたことを、その場で言語化してあげると良いでしょう。
どんな気分? どんな気持ち? どう感じた? 皆の顔はどう見える? などなど

言語化することで、より一層、記憶に残ります。

身体、思考、感情が一致した記憶は、時間が経って細かいことを思い出せなくても、何かしら「印象」として残ります。その「印象」が大事で、物事をどのように捉えるかという感情に結びついています。初めての不安を、すでに体験した印象が薄めてくれます。

例えば思考だけでわかったつもりより、現場での体験は有効と言うことに結びつきます。これは受験に限らず全ての事に活用出来ます。

私も中学受験していますので、その時の印象は今でも強烈に残っています。運よく合格出来たのですが、通学している時の印象と全く違うイメージが私の中に有ります。

2)関係性の醸成

受験当日の話ではないのですが、親御さんとお子さんの関係性は特に重要だと思っています。

これも妻の経験上の話で、成績が上がる下がるは、勉強方法もさることながら、親子関係が重要な影響を与えているとの事です。

例えば、親が子供に受験を勧めるので、子供は親の望みを叶えようと頑張る場合、受験失敗したら子供心に親との関係が悪化するとイメージしてしまいます。そうすると受験勉強や、受験当日に極度の緊張感を与えてしまいます。
過去の例では、難関校に合格した生徒のほとんどは親子関係にしっかりとした信頼関係があって、例え不合格になっても、親子関係は変わらないという安心感が感じられるそうです。その一方、親のために頑張る子供のケースは受験近くになると不安でいっぱいになり、最悪のケースでは持てる力を存分に発揮出来ずになる場合もあるそうで、確実に安全圏内の学校でも受からなかったという事例もあったそうです。

関係性なので子どもが変わるだけでなく親も柔軟に変わる力をもっているかどうか?がポイントになるでしょうね。

親の気持ちや行動は人間なのでどうしても揺れます。でも軸がブレない限り親子の関係性はしっかりとします。親御さんとしては、常に自問自答する必要はありそうです。
子供の学習方法、塾の選択などの前に、「子供とどういう関係をつくりたいのか」「それによってどんな家族でありたいのか」ということを問い続けるということです。

その意味では親御さんがコーチングを受けるのはひとつの方法だと思います。

3)振る舞いを受け取らず、気持ちを受取る/振る舞いを伝えず、気持ちを伝える

「子供の成績が思うように上がらない」という経験はどなたでもあると思います。
ましてや受験日にうまくいかなかったとがっくりするお子さんもいらっしゃるでしょう。関東では大抵の場合、受験は複数回あるので次にどうつなげれば良いのか、に気を揉む親御さんもいらっしゃると思います。

子供は気持ちをストレートに表すので、思わず、こうすれば良い、こうしない方が良い、というアドバイスを与えたくなってしまいます。でもその前に。

気持ちを受け取ってあげることがとても大切です。
これにはコーチングではなくアサーションという考え方に基づきます。

成績が下がった、うまくいかなかったなどについてを聞いたときに、どうするこうするという意見や感想を言う前に、それでどう思った? どんな気持ちになった?などを丁寧に聞いてあげるという考え方があります。

振る舞いにフォーカスせず、気持ちにフォーカスし、その気持を評価無く、そう思ったんだね、と受け止めます。

感情は(受け容れてくれる関係で)ある程度吐き出すことによって、一杯になったコップの水を減らすように、空きスペースが生まれます。空きスペースが生まれれば、今度はどうしたい?という振る舞いに対する問いをして、「一緒に」考えると、関係性を作りながら動き出すことが出来ると言う考え方です。

もちろん親からも、こうしなさい、と言う前に、今の気持ちを伝えてから自分にも空きスペースを作るということも必要だと思います。

このようにコーチングのような聴く概念よりアサーションという自分を表現を大切にする概念がマッチしていると感じます。

と、ここまでが思いつくままのイメージをまとめました。

重要なのは、これをスキルやテクニックとして捉えないことです。
「こういった考えもあるね」という感覚で知っておくぐらいの気持ちが丁度いいのかもしれません。
人間のことなので、こうすれば、こうなるという解は一つではありませんし、スキルよりもまずは関係性が重要です。

さて、塾の生徒たちは今回の受験結果、どうなっているのでしょうかね。
笑顔になることを祈りつつ。


JUGEMテーマ:学問・学校


| Izun | コーチング | 10:41 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
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映像制作で押さえるポイントとは:駆け出しの記録
数年前からMacのiMovieで写真のスライドショーを作る事を趣味としてきました。今の制作環境はiMovieを卒業して1段上のFinalCutExpressを使っています。

映像プロの方がどのように判断するのかは分かりませんが、見て頂いた皆さんには好評です。(お世辞もあるでしょうけど、映像を観て男性が涙を見せる時もあります)

ビジネススクールの授業風景を写真に収め、卒業セレモニーで上映したり、結婚披露宴のプロフィールDVDを作成したり、旅行に行った仲間に配ったり。

とある結婚披露宴ではこんなことがありました。
以前の記事:感動は広がる「You Raise Me Up」
私の選曲が大手家電メーカーのCMにつながったという事例です。

昨年、友人が披露宴で上映するプロフィールDVD作成の依頼を頂いたので、制作させて頂きました。

その流れの中で気が付いた事をまとめてみたいと思います。特に披露宴で使うケースを言っていますが他の目的にも応用できると思います。もちろん映像で飯食ってるわけではないのでプロから見ると当たり前だ、と言われる事ばかりだと思いますが、私と同じ趣味の延長として制作をされる方の参考になればうれしいです。


1)コンセプトを明確にしておく

披露宴のプロフィール映像と言うのは、大抵の場合10分以内ぐらいで新郎新婦の生い立ちや二人の馴れ初めをスライドショーや文字にして上映する形が多いと思います。

そこで新郎新婦にはコンセプトを明確に伝えて頂く必要があります。

具体的に言えば、
・披露宴に出席される皆さんにどんな気持ちになっていただくか?を新郎新婦に言語化していただきます。
・そして披露宴全体の進行はどうなっていて、新郎新婦が何か行動したり伝えたりする時間と、出席される方が行動したり伝えたりする時間を把握します。(場の流れ)
・その進行の中でプロフィール映像はどういう事を伝えたいのか?を新郎新婦に言語化していただきます。

ここまでくればある程度、コンセプトが見えてきます。

2)映像のテーマとシナリオを一緒に考える

コンセプトに応じてテーマと映像シナリオを考えます。

その際重要になるのが、
・どんな写真を使いたいのか?その背景は?を言語化していただきます。
・写真といっても、イベント、人間関係、人生の節目等、様々な切り口がありますのでテーマを明確にしていただきます。
・映像のおおまかな流れを一緒に考えて目に見える形にします。手書きでも構いません。(新郎新婦の順番とか)

ポイントとなるのが、生い立ちをストーリーとしてうかがうことです。

写真は一瞬を切り取っているのですが、その写真に写っていない物語や、前後関係、人間関係、そして感情を丁寧に聴いていきます。

このあたりは前述のコンセプトと行ったり来たりしながらになると思います。逆に行ったり来たりがあればあるほど、明確になっていきます。

また次項の作品か紹介かという所も大きく関係します。

3)作品にするのか、紹介にするのかというバロメーター

披露宴プロフィール映像は新郎新婦にとってどういう位置づけにしたいかを確認します。

具体的には
・作品と言う位置づけにして観て頂く場合。かなり凝った演出や起承転結を意識したシナリオになります。
・紹介と言う位置づけにして観て頂く場合。シンプルにして広く伝わり安いことを意識したシナリオになります。
・作品、紹介、どちらかにする、と言う事ではなくバランスを感触として伺います。

4)BGMは重要な脇役

BGMは使い方によって印象がガラリと変わる重要な役目を負っています。
歌詞付き(ヴォーカル)なのかインストゥルメンタルなのか、
歌詞は日本語か外国語か、
ゆっくりとしたテンポなのか速いテンポなのか。

この選択によって同じ映像でも違って見えたりします。

例えば速い曲の場合は、1枚の写真が映っている時間が長く感じられますし
ゆっくりとした曲の場合は、短く感じます。

また歌詞付きはなるべくオススメしません。

歌詞付きの曲は、歌詞があるので見ている人の思考が耳に振り分けられます。それが本来の紹介したい写真に対する意識を薄める場合があるからです。特に日本語の歌詞の場合は、歌詞の意味がストレートに伝わるので、聴く人の解釈を誘う場合もあって、別の意味にとられたりします。

また外国語の場合は、歌詞の意味をチェックしておく必要もあります。ラブソングではあるけど、離ればなれになってしまった心情だったり、一見ラブソングのようで人種問題や宗教観を表現した曲もあります。
美しいメロディーであっても歌詞は悲惨な人生を表現した曲もあります(笑)その場合、どうしてもこの曲というならインストゥルメンタルカヴァーを選択すると良いでしょう。

とは言いつつ結婚される二人にとって歌詞に意味があるとか、曲に意味がある場合は使うことも多いです。

5)キャプション(コメント)は本人たちの言葉で

幼い頃からの映像を流すときには、大抵キャプション(コメント)を入れます。
例えば、「お世話になったおじいちゃんの家で誕生会」など

写真だけを見ると、ある程度時期や関係性は把握できますが、どうして親類の方や恩師、友人との関係やエピソードは観ている方には伝わりません。

その時に補足や強調するために文字を映し出します。

その文章は、キレイな言葉よりも、荒削りでも新郎新婦本人たちの言葉がベストです。
言葉というのは、不思議な力があります。コピーライターのような第三者が美しく作り出した言葉はイマジネーションを膨らませますが、本人たちの思いは乗っていません。

もちろん、客観的な視点で、その言葉で伝わるかどうかは一緒に探っていきます。

コレに関しては上記2の「ストーリー」をうかがっていることがポイントになってきます。本人たちの生い立ちのストーリーやエピソードを受けとめながら、その言葉に「思い」を感じることが出来るか、も一緒に検討します。

まとめ

このようにオリジナル映像の製作は10分程度の映像でも相当の時間を費やします。

もちろんプロの方に頼めば、パッケージが用意されていて、写真を当てはめて、言葉を埋めて、用意されたBGMから選択して、一丁上がりなので、安く早く出来上がります。
またはエンターテイメント的にまるで音楽ビデオのように創るプロの方もいらっしゃいます。

どれが善い悪いではなく、選択なのです。

映像のフレーム、言葉、音楽で、伝えることが出来ない壮大な背景や、目に見えないストーリーをどうやってお伝え出来るか?が私はポイントになると思っています。

変なことを言いますが、その意味ではパワーポイントを使って本人たちが説明するような流れでも目的が達成できればOKだと思います。

<ご案内>

記念や記憶として自分用の映像を創ってみたいという方がいらっしゃいましたら、私までお問い合わせください。

家族やペットの映像や、披露宴映像、企業で社員のモチベーションを高める映像など、様々なシーンで映像を残すと思わぬ感動が得られます。
駆け出しですがコーチングを活かした「心を聴く」ヒアリングで映像を創ってみませんか?

映像に関するお問い合わせはこちらのサイトで
http://coachist.com/inquiry/

別サイト(コーチングサイト)に移動します。


| Izun | アート | 15:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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サイレント・ランニング:沈黙から目をそらさないこと
先日、ファシリテーター養成講座で起こった気づき。

1:雄弁な沈黙

ファシリテーターの方が、どんどん議題を進めていた演習の振り返りで、ある方が「もう後5秒、沈黙を我慢していれば全く違う流れになったと思う」という発言をされました。

ある議題に付いて納得されない様子の方とファシリテーターとのやり取りについてのことです。納得されていない方はある意味必死に理由や感覚を探していたのですが、ファシリテーターが、それをすぐ言葉にして返し、そして次の人の発言にフォーカスしていったのです。

想像するしか無いのですが、もし5秒待っていれば、納得していない「背景」が浮かび上がったかもしれません。そうすれば演習の場は、とたんに見えていなかった「本当のテーマ」が顔を出し、議論の活力、大げさに言えば生命の躍動感が生まれた可能性は有ります。

その後、演習をしたメンバーの振り返りでファシリテーターは、沈黙を怖がらず、あえて沈黙に飛び込む勇気も必要なのではないか、という意見も出ました。


2:映画「サイレント・ランニング」に見る科学の行く末


ここで「サイレント・ランニング」という映画を思い出しました。

この映画は、SciFiなのですが、そう遠くない未来に地球から植物が絶滅した世界を描いています。人類が種の保存として、宇宙空間にただよう宇宙貨物船のドームに、唯一植物を栽培していて、その植物の取り扱い、つまり栽培の継続か、断念かを決定する会議が地球上で行われます。

宇宙貨物船には植物をメンテナンスするクルーとロボットがいて、日々その決定を待ち続けるのです。そして最終的に人類は「植物の廃棄」を決定します。

クルーたちは地球に帰ることを喜ぶのですが、主人公のただ一人が疑問を持ちます。「このまま植物が無くなってしまって良いのだろうか?」と。

主人公はクルーたちに反抗し、命を奪います。しかし、追ってくる地球の宇宙船に観念し、植物ドームを切り離し、ロボットにメンテナンスを任せて、宇宙の果てに「植物」を放ち、そして残った貨物船を、主人公は自らと一緒に爆薬で吹き飛ばします。

静かに潜行せよ。(Silent Running)もともとは軍隊の潜水艦の用語です。(たしか潜水艦の用語であるということは荻昌弘さんがおっしゃっていた記憶が有ります。)

小学校の時にこの映画を見て、衝撃を受けました。

この映画と結びついたのは、目に見えないもの、沈黙しているもの、静かなもの、これらにも生命がある感覚。

科学や効率という文脈からの幸せでは植物は必要ないかもしれない、けれどもこの映画のように目に見えない場所におき、実物に触れることすらなく、廃棄しようと考えてしまうこと。

「沈黙」とか(仏教的概念の)「空」とか「無」ということを、理論的にはなかった事にする恐怖。

3:とあるイベントの感想

なぜこのような沈黙やサイレント・ランニングというキーワードが私の頭に浮かんだのか?

とあるイベントに参加した時の違和感が残っていたからです。それは映像や音楽が、強烈なメッセージを伝える、人間が密集した満員電車のような空間でのイベントです。

ここには沈黙は無かった、ように見えますが、個人の沈黙があったかもしれないと感じています。しかしその沈黙は音楽や映像と共に吹き飛ばされてしまっていたように思えます。

何か沈黙してはいけないような雰囲気も感じました。

科学とかメッセージ性という事が賞賛され、人間の身体感覚を音や光や人間の距離感という圧力に浸す。

サイレント・ランニングの映画の世界でいう、理論的に「無い」ものは、見えないようにしてしまう感覚。
その場にいると全く何が起こっているのか理解出きなかったのですが、イベントの後、一緒に参加したプロセスワーカーの友人と、沈黙を交えつつ対話して、初めてその背景が浮かび上がりました。

「沈黙を恐怖」と捉えていたのではないか・・・と。

沈黙が恐怖になると、付け加えること、意見(アピール)を言うこと、その振る舞いが顕著になる。恐怖から逃げるために。


  無音の空間で言葉にしない時間をただただ感じてみる。


これはとても重要なのではないか?と今、思っています。
ファシリテーター養成講座でも、伝えるよりも、大切であることを全員が学び取ったと同時に、私が経験したイベントの背景もくっきりと鮮明になった気がします。

沈黙という恐怖に対峙する勇気。
これはコーチでもファシリテーターでも問われることだと思います。

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| Izun | ファシリテーション | 19:47 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
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『100のキーワードで学ぶコーチング講座』
告知です。

私がお世話になっているコーチングバンクの原口佳典さんが出版されました。

『100のキーワードで学ぶコーチング講座』原口佳典著

1月17日(本日)17時〜14時までAmazonでキャンペーンされています。

私の体験談もこの書籍でご紹介頂きました。

本の内容は、一人の考え方ではなく、多くのコーチたちの経験や智慧を集められている点がとてもユニークです。
おそらく、今までに無かったアプローチだと思います。

いわばストーリーの集合智。

辞書的に活用するも良し、ストーリーとして読むのも良し。
コーチの方だけでなく、コーチングに興味がある、仕事や生活でのコミュニケーションや人間関係に興味がある方にもお薦め出来ます。







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1.17 阪神淡路大震災から15年 瓦礫の中の希望を忘れない
あの震災から15年。

「神戸新聞の7日間」

当時の事が思い出されるドラマ。

そして15年。

生きていることが希望であり、生きていることが勇気であり、生きていることが優しさであり・・

この思いと記憶は、自分のために、誰かのために、忘れずにいようと思います。

ハイチでは大きな震災が起こりました。
とても小さな小さな行動ですが、一歩を踏み出すことは大切だと感じます。

iTunesストアでは赤十字への募金が出来るようになっています。ストアのアカウントが必要。

iTunesから赤十字への寄付iTunesが起動します。

阪神大震災から15年:いつも購読させて頂いているBUBBLE-BさんのBLOGで知りました。ありがとうございます。

また、他の募金情報も探してみました。

1)グーグル
ハイチの災害救援活動にご協力ください:Google crisis response

2)Think the Earthプロジェクト
ハイチ地震被害 募金・寄付受付団体

希望につながることを祈っています。




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日本人とコーチング:ICFの風景
関連記事
ISOとコーチング

ある人からICFのカンファレンスについて聞いたふたつのこと。ひとつは関連記事として書いたISOについて、もうひとつは日本人とコーチング。

というのは海外、というよりアメリカのコーチング業界の方から見て日本人コーチはどう見えているか、という意見を、その人が聞いたという。数年前から日本人のコーチが大挙してICFカンファレンスに押しかけている状況から、アメリカの方は、日本のコーチやコーチング事情に興味を示しているのかもしれません。

1)日本におけるコーチングとは

アメリカやヨーロッパにおけるコーチング事情というのは、案外情報が少なく、あったとしても数名の著名な方の書籍やICFカンファレンスに参加した情報ぐらいしかないと思います。

要は、海外のコーチと情報交換する機会は極端に少ないのではないか、ということです。例えば医療としての心理療法であるとか、ビジネスコンサルティング、社会貢献としてのNPO、教育問題等では日本人が海外にでかけたり、海外から日本にやってきたり、という交流があるのですが、どうもコーチングというテーマでは少ないかもしれません。少なくとも私の知る限りという意味です。

そこで海外に目を向ける前に、日本ではどうなっているのかをまとめて見たいと思います。

まず日本でのコーチングは、ICFに認定されたプログラム(ACTP)として導入されました。現在2つのACTP認定を持つ養成機関が存在しています。

ここで重要なのは、この2つのACTP認定プログラムは輸入されたものということです。1つは使用権の契約、もう1つは日本法人という形で、アメリカ人が考えたプログラムであるということです。

その後、この2つの養成機関を修了した方がコーチングの活動、啓蒙に携わっており、ICFと関係するコーチング団体を立ち上げています。私なりの見解ですが、2つの機関というより、資金力のある1つの機関がバックアップして創設されたように思います。

それはICFの直下というわけでなく、ICFと関係する団体、という表現に現れている通り、日本の団体の会員になるか、ICFの直接的な会員になるか、という選択ができる点から、そのように私は解釈しています。つまり日本におけるICFの窓口ではなく、関係を持っている独自団体という解釈です。この辺はICFという団体の組織力という意味で、まだ未整備なのかもしれません。

次に、養成機関については、先の2つの養成機関以外はICFのACTP認定プログラムを持っていません(2009年時点)
成り立ちとしては以下の3パターンです。

A:日本で2つの内どちらかのACTP認定プログラムを受けた卒業生が立ち上げた養成機関
B:心理学、コンサルティング、自己啓発など他の要素をベースにコーチングと名付けた養成機関
C:海外で別のACTP認定プログラムを受けた卒業生が立ち上げた養成機関

Aは個人レベルの学習プログラムを含めるとかなりの数になるのではないかと思います。Bについては、私が理解している(ICFでの定義など)コーチングと違うものも含めるとAには及ばないものの、少なくはないと思います。Cについては私は今のところ1つしか知りません。

一方、ICFがACTPとして認定しているプログラム(養成機関数でなくプログラム数)はPending状態も含めて88個あります。(2009年12月現在)
http://www.coachfederation.org/research-education/coach-training-programs/tpss/
(*ちなみにアルファベット以外の表記をする言語圏発のACTP認定はまだ無いようですね)

日本の状況は88分の2というわけで、しかもその2つは輸入であると。つまり日本独自のコーチングプログラムは存在していないわけです。

仮にBであったとしてもコーチングという名称を使う限り、少なくともICFで定義されている概念をうまく取り入れたり、言葉だけを使ったりしているので、これも日本オリジナルというケースは当てはまらないと言えます。

また海外でもICF以外の流れをくむ養成機関もあります。それは大抵ヨーロッパにあります(私もヨーロッパ系養成機関の卒業生のセッションを受けたことはあります。その際、ヨーロッパ系でも実際には大きく変わらないという印象です。しっかりしていてコンセプトは通じ合える)

まとめると日本におけるコーチング(という言い方をする限り)は完全に輸入された概念であり、日本オリジナルの概念は存在していないと言えます。また日本においてのコーチングの根源はアメリカ系のICFであり、ヨーロッパ系ではないということも言えます。

2)日本人とアメリカ人のコーチング

次に日本人の特性とアメリカ人の特性におけるコーチングについて。
日本人という枠を、何を持って日本人とし、どこまでの範囲とするかの議論は本意ではありませんので、一般的に日本国内で生まれ育ち、日本語を母国語としているクラスタ(集合、群)としておきます。

ここでは日本人と、アメリカ人の特性の違いという視点も存在すると思います。
(アメリカ人の定義も難しいのですが・・・)

特性というと民俗学の領域になってしまい、かなり高度な知識を要求され、私の守備範囲を大きく超えてしまいますので、あくまでも私の知りうる知識によって論を進めていきたいと思います。誤解や間違いがあるかもしれませんがご了承願います。

まず大きな違いといえば、

A:日本の地域や社会コミュニティなどの共同体のつながり、に対してアメリカが家族を軸とした個のつながりであること

日本ではごく最近まで地域社会や企業までもひとつのまたは重複するコミュニティとして潜在的に機能していたことが考えられます。これはコミュニティを作ることが目的でなく、目的を達成するためのコミュニティが自然発生するという概念です。一方アメリカでは、家族が基本となって、働くということに関してはコミュニティではなくチームという概念であること、またコミュニティを明確に作るという行動が多いと感じます。

B:日本の協調性コミュニケーションとアメリカの多様性コミュニケーション

日本では協調性と言われる背景を汲み取ることが美徳とされている感覚があります。これは独自のものではなくどちらかといえば協調性が強い、といった感覚です。アメリカにおいては、多民族の移民で成り立っているものですから、背景と言われても想像を超えるものがあります。なので明確にその背景や思いを言語化しておかないとお互いに分からない前提の社会であると思います。
例えば西海岸で多く見られる、知らない人同士たまたま目が合うとニッコリする仕草は、誤解を生まない暗黙のルールのようになっていると聞きます。

C:日本の教育とアメリカの教育

日本では、自分が大切にしている価値感を学校などで明確にする訓練は受けません。アメリカの学校では価値観(Value)を常に問われながら、言語化する訓練を受けます。

私の解釈で恐縮ですが、A,B,Cの観点からICFカンファレンスに集まるアメリカ人から見ると、日本から大挙してやってくる日本人コーチは、掴みどころの無い集団なのかもしれません。

まずは集団として参加してくること。海外からの参加なので仕方ない部分もありつつ、ムーブメント的な盛り上がりとして集団になっている点。集団の行動が恐らく、彼らから見て画一的に見える点。またやってくる目的や参加する目的が何なのかが分からない点。

これは、残念ながら異文化の思い違いということもあると思います。日本人からすれば集団でカンファレンスに参加する意義もあるし、決して画一的ではないし、参加する目的もそれぞれに明確になっているはずです。ただそれにしてもカンファレンスだけ日本人コーチが現れ、日常生活に現れないというのはアメリカ人にとって不思議に映ることも、納得出来ます。だから日本人コーチは、どういう人達なんだろうか、と。

これに関しては、交流を続けるしか無いのではないかと私は思います。

3)日本人独自のコーチング観

これが私の本題です。日本人コーチが独自にもっている世界観についてです。
私の勝手な解釈で論を進めます。

2)のA,B,Cで述べました通り、日本人には意識しなくてもコミュニティ参加していることが多く、それが様々な影響を個人に与えることになります。意識しないとは言語化も含めて。

どういう事かと言うと、会社や地域のコミュニティが自然発生的に生まれていながら、参加しているという認識が薄いということです。つまりはコミュニティ内部、またはコミュニティ同士の、「関係性」が個人の行動によって様々に変化するということです。

一方アメリカではコミュニティは作るものであり、参加するものなので、個人は参加を選択するかしないかというメンタリティーと言えます。

コーチングにどう影響するかと言うと、日本人の場合は、個人のAgendaを扱うコーチングにおいて、コミュニティの人間関係と個人との影響を扱うことが多いと想像出来ます。アメリカ人は、完全に個人のAgendaを扱う。

言い換えると、日本時の場合は個人が成長するにあたって、人間の関係性と複雑に絡みながら進んでいくということ。アメリカ人の場合は、個人の成長によって、どのようにコミュニティに参加するかを選択する感じ。しかも仕事はチームなので、また少し違うニュアンスの参加の仕方になる。

日本人が関係性と絡み合うのは、おそらく言語の成り立ちからくる感情の表現ということも言えます。なかなか感情表現をコミュニティという関係性で、表現しない。

その意味では日本人に対するコーチングで重要視されるのは、感情表現と、望む望まないに関係なく組み入れられるコミュニティにおける関係性の視点かもしれません。

アメリカ人に対するコーチングで重要視されるのは、価値観の認識と、コミュニティへの参加をどのようなものにしていくか、というところになると思います。
(*私の経験上で欧米のクライアントの方はそうでした)

日本=感情、目に見えない関係性
アメリカ=価値観、目に見える関係性

どうでしょうか。私なりの見解で、非常にわかりづらい表現になっていますね。

つまりは、日本人という観点でよく表現される言葉では「空気」「間(ま)」「配慮」「礼儀」「道」などが挙げられます。実際には感情を伴った言葉であると思います。少なくとも価値観ではない。そしてこれらの言葉は目に見えない関係性とも言えます。

ここまでが推測も含めたまとめです。

ただ、この話題を扱う場合に、いつも私が感じていることを書きます。

こういった日本独自の様式や言葉や関係のとり方の概念は、形は違えど、世界中に存在しています。太平洋の島々に住む人々や山奥で生活する人々など、長期にわたり伝統的な様式を大切にする人々なら、似たような感覚はあると思います。(南から海を渡ってきた祖先や大陸からやってきた祖先のメンタリティーが受け継がれているという説)

日本だけではないし、これを日本独自とか、日本人の、とか言ってしまう厚かましさには気を付けたいと思っています。

とある著名な民俗学の先生と親しくさせて頂いた時期もあったので、私自身は、このように日本を語るときには、それこそ「配慮」が必要であると学びました。決してこれらは日本独自のものとは言えず、ある意味、様々な民族が培ってきたものを集約して受け継いでいるという認識です。

このような民族の歴史を踏まえずに「日本人は素晴らしい」として海外に紹介する振る舞いは、思いもよらないメッセージも伝わってしまったり、知識のある方から見れば、配慮が無いなと感じ取られてしまいます。

矛盾する表現ですが、このような配慮は日本人だから出来ることなのではないでしょうか。





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